自担、事務所辞めるってよ。

どうも皆さんおはようございます、こんにちは、こんばんは。ながわみゅうです。

 

皆さんは推しもしくは担当が芸能界を引退する、事務所を辞めるという経験はおありでしょうか?

これは人生で初めてその経験をした一ジャニヲタの話です。

 

以下の文章は私が思うままに書いています。順序だてて話す事が苦手なので読みにくい部分やおかしな部分があると思いますが温かい目で最後まで読んでくれたら嬉しいです。

 

 

3月29日 18:20頃。King&PrinceのFCから『大事なお知らせ』というタイトルと共にメールが来ました。(ちなみに私はSHOWROOMで配信出来ないからインスタライブしてた)

この時点で私は嫌な予感しかよぎりませんでした。

そして記載されたURLに飛び、メール内で指定された場所に飛ぶとそこには『岩橋玄樹について』。動画と文章がありました。文章は本人からのものでした。

ざっくり読み進めると『2021年3月31日をもってKing&Princeの脱退そしてジャニーズ事務所退所』の文字が。

 

嫌な予感が的中でした。

 

2018年10月末(多分23日)にパニック障害の治療の専念の為、芸能活動を休養するというお知らせを聞いて早2年半ほど。私は彼がまた元気に私達ファンに笑顔を届けてくれると信じて疑いませんでした。どれだけ時間がかかろうと必ず彼は戻ってくる、なぜなら私達ファンの事を誰よりも考えるアイドルだから。私はそう思っていたしそのつもりでいたからどれだけ時間がかかろうと待つつもりでした。いや、待っていました。

以前から配信内でヲタ垢がある話をしたと思いますが、そのヲタ垢では「早く帰ってきて」など彼が万一エゴサして見た時にプレッシャーに感じないよう配慮したつもりです(億が一でも私のヲタ垢は見られない)。パニック障害の治療はどれだけかかるか分からない。しかも彼の場合、幼い頃から患っていたので症状は恐らく重いものだったでしょう。復帰のめどはすぐに立たないし長い闘いになることもそれなりに覚悟していました。

休養してからある程度経った頃、母やヲタ卒した友達に「このまま(事務所)辞めるんじゃない?」「どうせ戻って来ないよ」と言われました。確かにそうかもしれない。でもそうなるとは限らない。世の中に絶対はありませんからね。辞める可能性もあるし、戻ってくる可能性もある訳です。私はどちらの可能性もあると思っていました。でもやっぱりJr.時代から追いかけててやっとデビューした自担の事が大好きだし信じていたいので勿論戻る可能性に賭けていました。というか“絶対に”戻ってきてほしいと思っていました。

 

その願いはむなしくも儚く散りました。

 

だめな可能性も分かっていた。でも自担を信じていたかった。ヲタクってそんなもんじゃないですかね。

結局自担大好きマンだし自担にデロデロに甘いじゃないですか。結局。

私も自担達の事は大好きだし基本的には自担全肯定マンです。まあ客観視することもありますが。

 

私にとってヲタ活というのは生活の一部であり生きていくために必要なものです。

そして彼、岩橋玄樹さんに関してはJr.時代からずっと追いかけてデビューを見届けた初めての人です。(ちなみに二人目は阿部亮平さん。まあでもデビュー発表後から担当になったからJr.時代からずっと、みたいなパターンではない。)

中学時代には彼に似た同級生がいてヲタ友と盛り上がったものです。しかも中3の最後の席替えでは隣になりました。そして私の前にはヲタ友。もうそれは沸きに沸いた。(ちな似ているからといってその子に恋愛感情は全くなかった)。

高校に上がってからはすっぴんが死ぬ程可愛い子が永瀬担でちょくちょく喋った。あともう1人玉森担のくそ頭良い子がいてその3人で世界史受けたの懐かしいな。皆元気かな?特に永瀬担の子、働きたくなくて早く主婦になりたいとか言ってたけどどうなのかしら。

私的ターニングポイント(?)は高2の時です。この年(2016年)はなんかめちゃくちゃ運が良くて沢山の現場に行きました。ザ少年倶楽部(通称少クラ、BSプレミアムでやってるJr.の番組)の収録に3回行き、有楽町にあるシアタークリエという激せまの会場のコンサートに当たり、中島健人さんのソロコンに当たり行ったら見学に岩橋玄樹さんと神宮寺勇太さん。

個人的彼との思い出は先程書いたシアタークリエでのコンサート。これJr.担ならご存じだと思いますが。箱が狭いから死ぬ程倍率高い。しかもその当時Prince(岩橋玄樹さん、神宮寺勇太さん、岸優太さんの3人で組んでいたグループ)はまあそれはそれは人気で当日券に1000人以上並びました(それでも当たるのは2,3人とかそこら)。そんな公演に当たっただけでもすごいのに私の席は1列目ど真ん中。チケットが来て座席を確認した時は白目向いて倒れるかと思った((。当時の私はコンサートに参戦する際は特にこれと言ったおしゃれをする訳でもなくまあダサく見えなきゃいいレベルの服装で参戦してました。でもこの時ばかりはちょっと自担の好きな服を意識して行きました。それでも根っこの部分は自己肯定感低低人間なので「私なんかが1列目のセンターでいいのか…」と思ってました。(いや多分今同じ状況になってもそう思う)

そして2016年5月14日。私はこの日が忘れられない日になるとは思わずに母と一緒に会場に行きました。

まずこの日までにそれなりに岩橋玄樹さんに会っていて(会うじゃなくて見るだろとかいうマジレスはナンセンスだからな)、この日までに1回もファンサを貰えませんでした。いやもしかしたら私が気付かなっただけでもしかしたら貰っていたのかもしれないけども。まあそれは置いといてとにかく1回もファンサ貰えなかったんですよ。で、この日こんな良席なのにファンサ貰えなかったらどうしようとか考えてました。

いざ開演。

開演10分程で神宮寺勇太さんから目線を貰いました。もうこの時点でやばかった。心臓飛び出るかと思った。これ結構まじで。でMC前にバックに付いてたJr.から目線貰ってウキウキしてた笑。(ちなこの時のJr.は今も現役で活動しています。しかも推し。)でMC後に客席に降りる演出があってこっち来ないかな~と思って自担をずっと見ていて気付いたら目の前に岸優太さんが前にいました笑。訳も分からずハイタッチしました笑。

この時点でPrince3人のうち2人からもう前半戦でファンサを手にしてこの席やべえ!と興奮しました笑。

で、肝心の自担ですよ。こんな神席ですら自担に干されるのか…と落胆していたらですね!なんとですね!アンコールで貰ったんですよ!これまた客席に降りる演出があって自担が一通り回って戻ってきたら1列目のお客さんに端からファンサしていきまして。その流れでファンサ貰いました。ただ「目を見て手を振ってくれる」というそんな些細な事です。でも私にとって初めて彼から貰ったファンサだったので忘れられるはずないのです。かなり痛いヲタクなので普通カップルが入れるような記念日アプリに日付を入力しました笑。まあアプリなんか入れなくても私は2016年5月14日に貰ったということは覚えているんですけどね笑。

 

 

…ただのファンサ自慢になってしもたなあ笑。

もうとにかくこの時貰ったファンサが本当に忘れられなくて。

まさかこのファンサが最初で最後になるとは思いもしなかったですけども。

 

29日の夕方に発表してもうその2日後には脱退と退所が待っているのです。

心の準備がままなりません。この現実をどう受け止めればいいのか。というかそもそもこの現実を受け入れられるのか。きっと一生受け入れられません。

彼が、岩橋玄樹さんが事務所を退所しても世界が変わる訳でもないし、変わらず時は進みます。誰かにとってこの事実はすごーくどうでもいいことなのです。その現実に気付いた時すごく虚しいというか悔しいというかなんとも言えない感情になります。

 

事務所を退所するというと、何か犯罪をしてしまったりやらかしてしまった時というイメージがとても強い中で彼は「病気」のために辞めます。まだ何か犯罪をしてしまったというのなら納得いきます。(それも変な話だけど)。でもそうじゃないんです。だからといって彼を責める気は1ミリもないし、彼自身に問題があったとは全く思えません。なんというかコロナの影響でコンサートが中止になって謝るアイドルを見て「君たちは何も悪くないよ」と思う感じに近いと私は思ってる。

 

こんなだらだら書いたけど辛いしか言えないです。辛いの一言に尽きます。

あとは後悔です。今まで一度もファンレターを送ったことが無いのです。このファンサ貰った時も送ろうと思いましたが結局頓挫。彼はアメリカが好きで英語も頑張っているということなので英語でファンレターを送ろうとも思ったりしました。でも出来ないままこの日を迎えました。

 

これを書いている理由としてはもしかしたら岩橋玄樹さんが見てくれないかなっていう淡い期待を込めて打っています笑。ファンレター代わりと言っては何ですが…笑。

どうしても3月31日には書き終えたいという一心で無我夢中で打っています。

もしかしたらまだまだ書き足りないしあとで書きたいこと思い出すかもしれないけどとりあえずここまでで。

 

…まあ見てくれるわけがありませんが笑。世の中に絶対はないのでね。それくらいの淡い期待はしていいのかなと思います。

 

2010年10月30日から今日までの約10年、沢山の笑顔をありがとう。これからもこの先もずっとずっと大好きです。

 

2021年3月31日