価値観

「恋愛」って人生においてそんなに重要なんですかね。

 

私がいわゆる「大恋愛」的なものを経験してないからそう思ってしまうんだと思う。

 

とかく昔から人の噂とかどうでもよかった。特に「○○くんと△△ちゃんが付き合ってるらしい」とかいうそういう類のやつ。

小学校ではあまりそういう話は流れないが、中学に上がるとグンっとその頻度は上がる。

「○○は△△のことが好きらしい」

「□組の○○と☆組の△△って付き合ってるらしい」

とか。

人の噂には滅法弱くて、というかそもそも興味すらないから聞こうとはさらさら思わない。だけど有名な(?)話とかは聞こうと思わなくても勝手に聞こえてくるもので。

そんなものを何にも知らない部外者が勝手に話したところで何になる。というかただの「噂」でしかないのによくそんなこと話せるな。本人から聞いたならまだしも噂程度の話を人が聞こえるところでよく話すな、と。そう思っていた。ていうか今でもそう思う。

 

まあでもそういう話題って大体女の子が好きな話じゃないですか。で、「女の子」といえば「連れション」ていうくらいには連れションを死ぬほどす。これが私の一生理解できない女子の生態。たかがトイレごときで人を借り出すな。こうなると恐らく私は「女の子」というコミュニティに入れるような人間ではなかったのかもしれない。かといって男の子のコミュニティに入れるわけでもない。もしかしたら私は人間が嫌いで好きだったのかな、なんて。

 

当時「人間が嫌い」と言っていたクラスメイトがいた。今ならその子の気持ちが分からなくもない。その子が当時クラスメイトに厨二病だなんだとやんややんや言われていたのが懐かしい。厨二病でも何でもない。その子にはその子なりに生きて考えたことなんだ。

その子はまあ結構やんちゃしていたけどなんだかんだ丸くなって3年次には1番の仲良しになった笑。驚くことにその子とは3年間クラスが一緒で担任も変わらず同じだった。卒業が近くなった頃にはその子と担任と私の三人で「丸くなったね~」なんて話していた笑。

丸くなったその子は割と明るいタイプになってクラスでは私のような文化部陰キャオタクより高い地位にはいた。そんな彼女と仲の良かった私はなんだかんだでクラスに馴染めていたのかもしれない。私の思い過ごしな気もするが。

中3時はそんな彼女と仲良くなり、行事には熱心になり給食は絶対に残さないそんな素敵なクラスメイトに囲まれ、部活では部長を務めた。こう見ると、なかなかに充実している。あ、そういえば、塾にも通っていた。その上ヲタ活は抜かりなくしていた。こんな充実した日々に「恋愛」という要素が入るはずもないのだ。というか恋愛が擬人化してやってきても「私の入る隙ないな、、、」って思って勝手に退散するくらいだと思う。

 

だから、「恋愛」って人生においてそこまで重要項目ではないと思う。

日々が充実しているのであればそれで「幸せ」だと思えるではないか。それで自分の人生に満足してはならないのだろうか。

当たり前だが人生の価値観なんてものは人それぞれ。人生に限らずなんでも価値観って人それぞれなわけで。だからこそそれを他人に押しつけるなんてちゃんちゃらおかしい。

私は他人の「生き方」と「お金の使い方」について口出ししないようにしている。なぜなら自分が口出しされたくないからだ。「自分がされて嫌なことは他人にしない」っていうそれだ。それが私には「生き方」と「お金の使い方」なのだ。

 

先述したように私はいわゆる「ちゃんとした恋愛」というものをしていないから今この価値観である。

この先の未来なんて誰にも分からないし自分ですらどうなるのか分からない。だから今この価値観も数日後あるいは数か月後、数年後には変わってるんだと思う。

ここに堂々と書くつもりは全くないからものすごく曖昧な言い方をするが私は多分普通じゃない。何が普通じゃないって感覚的なもの。特別って訳でもないけどいわゆる普通じゃないんだと思う。だからこそその性質について調べている。その中で見つけた記事にこうあった。

 

「昨日までの自分は別人で上等」

 

常に見えるところに書いたくらいにはこの言葉がぶっ刺さった。

 

生物学的に細胞が生まれ変わってるから、とかそういうことではなくて。

私自身、自分の中に色んな人がいる感覚がある。多重人格とかそういう精神的な病ではなくて。色んな自分を使い分けているような感覚。自我なんてものがあるのかどうかすら危うい。だからこそこの言葉は深く心に刻まれた。

昨日までの自分とは別人になってしまう可能性を孕んでいる私は、今持っている価値観もきっとあっという間に塗り替えられてしまう。

少なくとも現時点では「人生において『恋愛』は最重要項目ではない」と思っている。この価値観も何かのきっかけで覆されてしまうのかもしれない。そう思うとそれまでの価値観を持っていた自分をどうしようもなく嫌ってしまいそうで少し怖い。そうなった時はまたその時の自分に委ねよう。

ある意味で他力本願だな。笑

 

多様性が謳われるこの時代に価値観の押し付けは時代遅れなのだ。

感情が他人には分からないように価値観も他人には理解しがたいものがある。だから理解なんてものはする必要なんかなくてとりあえずそんな人もいるんだ、くらいのテンションでいいと思う。認知、知ること、それだけで多分世界は変わる。